歴史から学ぶ⑧ 日本が日露戦争に勝てた理由【Part3:終戦後の乃木希典】

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日露で180°違った乃木の評価

このようにして日露戦争での重要な役を担った乃木ですが
当時この報告を聞いた日本軍からの評価は
「攻略に時間がかかりすぎだ」ということで芳しくありませんでした。
前回の日清戦争で乃木は旅順を陥落させるのにかかった時間はわずか1日です。
それに対し今回の乃木は任された旅順港を攻略するのに約5ヶ月もの期間が経っていました…
いくら最終的に勝ったとはいえこれをよしとしない人も少なくありません。
しかしロシア側の乃木の評価は日本と180度違ったものとなっていました。
なぜならこれは本来戦力差に雲泥の差がある日本が攻略できるものではなかったからです。

実は乃木が攻略した旅順港は
ロシアが占拠した後に強化されてアジア最大の難攻不落の要塞と化していました。
しかもロシア側のプロパトキン極東軍総司令官は
「欧米で列強がかかってきても3年は破れない」と豪語していたのです。
そんな難攻不落の要塞をわずか5ヶ月で陥落させた乃木に対しロシアの司令官は
乃木の第3軍こそが日本軍の主力部隊だと解釈し、日露戦争最後の会戦では乃木軍に大兵力を集中させるほどでした。
そうしてこの乃木の驚異的な偉業は世界を震撼させ
後に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに世界で尊敬する軍人として名を語らせることになります。
このようにして乃木の功績が認められ、凱旋した乃木大将は大歓迎を受けました。

非難されていた男から世界を震撼させた男へ

しかしし世界を震撼させたのはそれだけではありませんでした
旅順攻略の後、乃木は敵将ステッセリとの講和会見において、紳士的な対応をします。
普通は勝者によって降伏する側は丸腰にされ「見世物」にされるのが当時は一般的でしたが
乃木はステッセリに剣を持つことを許可。
その上食事を一緒に食べて酒を酌み交わし、敵であっても武人としては対等であることを示しました。

それどころかステッセリが旅順陥落の責任を負わされロシアで処刑されそうになった時、乃木は
ロシア皇帝に直筆で手紙を書いていかにステッセリが勇猛果敢に戦った立派な軍人であったかを訴えたのです。
これによってステッセリは処刑を免れましたがシベリアに送られます。
そして、苦境に陥ったステッセリの家族の生活を伝えたのは
乃木大将からの匿名の仕送りだったそうです。
2人の最愛の息子をこの戦争で失い、多数の部下をも失った乃木にとって敵の武将は憎むべき存在のはず。
しかしそれでも彼には武士道と言う日本人として守らなければならない生き方がありました。
その後、乃木の対応は多くの記者によって全世界へ広まり世界中から称賛を浴びることになりました。
そして乃木は仲間を犠牲にしたことを悔やみ自ら命を断ちました。
すると一人のロシアの僧侶から多額の見舞金が届いたそうですが、ステッセリからでした。
ステッセリは生涯自分は乃木という素晴らしい将軍と戦えたことを誇りに思うと言い続けました。
あなたはこの話を聞いてどう思いましたか?
教科書ではただ「日本とロシアが過去に戦った」くらいしか書かれていないですか
その裏側に眠る歴史の出来事を読み解くと日本がロシアに戦いを挑むのは無謀だったこと。
そしてそれを覆す戦略あったこと、さらにこの戦争は強い信念や生きる軸をもって世界相手に立ち向かった「乃木希典」の存在があったことなどさまざまな真実が浮き彫りになってくると思います。
この日本の勝利は「有色人種が白色人種に勝利した人類史上はじめての近代戦争」として世界に震撼を与えました。
・大東亜戦争時の日米以上の戦力差
・欧米列強が相手でも3年は守り通せる旅順要塞
・世界最強のバルチック艦隊
ルーズベルトが20%の勝機しかないと言っていたように、まさか日本が勝つとは誰も思っていなかったからです。

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