歴史から学ぶ① 自分が聖人で相手が愚人とは限らない 

歴史に学ぶ

皆さんこんにちは!
AKIRAです。
いきなりですが【十七条の憲法】を聞いた事がある人は多いと思います。

実はこの【十七条の憲法】の条文が今の時代でも共感できる事が多いため今回ご紹介しようと思いました。

まずは簡単に歴史の確認から

今から約1400年前の6世紀に、当時の日本の進むべき道を切り開いた大政治家がいました。
その大政治家とは聖徳太子(575~622年)の事です。

そして、聖徳太子の数ある実績の中の一つが【十七条の憲法】制定です。
【十七条の憲法】は現代の日本の言葉に置き換えると『日本の官僚はこうあるべきだ』と解釈できます。
ではこれから【十七条の憲法】を現代用語に置き換えてみようと思います。

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【十七条の憲法】第一条について

但し、すべての条文を説明すると膨大な量になります。
よって今回は特に重要だと思われる『2つの要項(一条・十条)』のみをご紹介致します。
その前にまずは一つだけ大切な話があるのでまずはこちらをご確認ください。。

一に曰く(第一条)、 和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

お馴染みのこの条文は簡単に説明すると『みなさん和を大切に=みんなで仲良く』と言う事ですが

ここで注目してほしいのが冒頭にある『和(やわらぎ)を以て‥』の読み方です
ほとんどの皆さんはこの部分を   『和(わ)を以て‥』と呼んでいるはずですが
実はこの『和』の読み方は(やわらぎ)だったんですね。

和(やわらぎ)の説明

(やわらぎ)とは『争っている人たちが融和する=仲良くなる』と言う意味です。
日本酒を飲む時に使われる【和(やわらぎ)水】を思い浮かべると理解しやすいですね。
日本酒に水を入れる事(融和)によって飲みやすくすることから【和(やわらぎ)水】と呼ばれるようになったそうです。

【十七条の憲法】第一条・十条を現代用語で置き換えると

では実際に【十七条の憲法】第一条・十条を現代用語に置き換えてみます。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

第一条 和(やわらぎ)を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。人にはそれぞれ付き合いというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。

十に曰いわく、忿いかりを絶たち瞋いかりを棄すて、人の違たがうを怒いからざれ。人皆みな心あり、心各おのおの執とるところあり。彼是かれぜとすれば則すなわち我われは非ひとし、我われ是ぜとすれば則ち彼は非とす。我必ずしも聖せいに非あらず、彼必ずしも愚に非ず、共に是これ凡夫ぼんぷのみ。是非ぜひの理り、なんぞよく定むべき。相共に賢愚けんぐなること、鐶みみがねの端はしなきが如ごとし。是ここを以もって、彼かの人瞋いかると雖いえども、かえって我が失あやまちを恐れよ。我独ひとり得たりと雖いえども、衆に従って同じく挙おこなえ。

第十条
心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。
ひとの心はさまざまでお互いに相譲れないものをもっている。
相手が良いと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思うことがあるものだ。
自分が聖人で相手が愚人だと決まっているわけではない。共に凡夫なのだ。
是非の理をだれが定めることができよう。
お互いに賢人でもあり、愚人でもあるのは、端のない鐶のようなものだ。
それゆえ、相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。
自分ひとりがその方が正しいと思っても衆人の意見を尊重し、その行うところに従うがよい。

第一条・第十条の考察

皆さんはこの二つの条文を読んでどう感じたでしょうか?
私はこの条文は憲法と言うより『人としての生き方』を論じてるように感じました。
この二つの条文のポイントは 偉い・偉くない人・頭のいい・悪い人も『聖人にも、愚人にもなり得るただの凡夫です』と言う事です。
つまり、どんなに偉い人でも、裏ではバカな事をやったりして『逮捕されてる人』もいれば 頭の悪い人だと世間から思われてた人が、世の中にでて成功することもあれば いい人だと思われてた人が何かがきっかけで悪い人になったりと このような ぐしゃぐしゃとした人間の集合体が社会であり国家なのだ=世の中はこんなもんだよ と言う事を聖徳太子は教えてくれてるのだと思います。

最後に

人によっては、一つの出来事で見方も違うし、解釈も違うし、さまざまな受け止め方があります。 物事は必ずしも自分の思い通りにはならない=世の中はこんなもんだよ、だから和(やわらぎ)を大切にしよう コロナの影響で今後、世の中がどう変わっていくのか分かりませんが 人として改めてこの考え方を見直す必要性があると思いました。
今回は以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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